語り始め#
零零散散にいくつかのブログを書いてきましたが、日々の奔走の中で風尘に捨てられてしまいました。このブログが最後の風景となることを願っています。
この一年間、多くの書籍を読みましたが、大部分は人文社会科学の書籍です。これには多くの利点
があります。人文社会科学の書籍は、世界観を大きく覆し、頭の中で特定の秩序の統合や脆弱な信念を考えなくなりました。
最大の収穫は、ヘーゲルの 『精神現象学』
です。本当に世界
のある種の断片的な感覚を感じさせてくれました。明確だった世界がついに【ぼやけ】始めました。
なぜぼやけることが良いこと
なのでしょうか?それは変化、視点の変化、次元の切り替え、情報の充填によるものです。たとえ混沌として見えても、これはよりリアル
な世界です。
世界は一つの全体であるという信念は、人間性の怠惰であり、理性的な暴力でもあります。
ヘーゲルには非常に「右」の言葉があります:
存在することは合理的である
存在するものはすべて合理的である
この言葉を理解する際、私は三つの段階を経ました:
- 存在するものはすべて理にかなっている
- 人は物事を存在させないことができ、合理的なものは人によって保証されている
- 存在するものはすべて不合理である
三つの段階は三つの心態に対応しています:
- 何の心配もないので、神秘的な因果関係を自由に考え、堅固な論理の鎖が世界を支配している
- 仕事を控えているため、心の中に少しの不安があり、人は天に勝つと信じている
- 以前の仕事から教訓を得て、個人と集団の中にあるさまざまな不合理な亀裂を見て、自分の怠惰や弱さをはっきりと見た
語り始めるにあたり、何であれ、かかってこい。